未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

ティキ

5つの小説を書いて、それが、抜け出るための何か、であることはすごく分かっていたけれど、そこを一足飛びにすることは出来ないから、とにかく書くしかなかった。

この未来ちゃんノートにもいつか、こんな過去のこと書いてても仕方ないし先の方へ向いているのは分かってるんだけど、そこに行くにはここを書かなきゃならなくて、だからとにかく書くしかない、みたいなことを書いたことがあった気がするのだけど、それは、ひたすら黙々と一人で行う暗くて地味な作業だし、深い森のなかの極個人的な話なので、それをブログにするのはどうかなと思いつつ、でも、人には知らせていなくても、日記ではなく外に向けて書いているということで取れているバランス、というのがある、あったんだと思う。

 

5つの小説を書きながら、自分で、自分が影響を受けまくった作家さんの影からぜんぜん出れてないな、ということがわかるのが、ものすごくキツかったりして、それは仕方ないことと思いつつも、それが抜けるまで、とにかく書くしかないんだと思って、書いていた。

誰でもが誰でもの影響を受けてるなんて当たり前のことだ。

自分のことは自分が思っているほどわからない、というか、わかってると思ってることなんてたかが知れているその範囲内のことであって、わからないその先がチラとでも垣間見えたり姿をあらわしたときに、それはもうたまらなく面白いからやっぱりやり続けてしまうんだと思う。

海底からぬらっと得体の知れない魚影があらわれたときに、うわ!なんかいる!いた!という感動。

 

そういえば昨日近所の幼稚園の夜祭りに行ったのだけど(大人のビール早飲み競争があったり、会場の子供たちもぎっちぎちの中で手作りの(!)ナイアガラ花火をバンバンやったり、子供そっちのけでお父さんもお母さんもビールを飲んではしゃいでるという、かなり攻めている祭りだった)、そこで小学先くらいの子供たちが、木の植え込みに集まって「いまガサッと言ってた!なんかおる!なんかおる!なんかわからんけど絶対なんかおる!」とみんなでワーワーめちゃくちゃ盛り上がっていて、いるかいないかわからない何かにそれだけでめちゃくちゃ盛り上がるその感じ最高ダネ!って思った。

 

話がすごくそれたけど、今書いているのはたぶんよくわからない、読む人に親切ではないお話。

いきなりティキという少年がポッと出てきたので、ティキってなんだろう?と思って調べたら、ポリネシアとかハワイとかの偶像神というか、なにか神さまのことらしい。

この話の中で、ティキの見るものや聞くものをいっしょに体験できて、私はとてもうれしい。

ティキも私もどこへ行くのかなんてわからない。

わからないからとにかく行くしかない。

行かなくてもいいのに、ティキは行くらしいから。