つまり感動
思い出というのは過去で、ぼんやりしているとよく過去のことを脳内で再生していたりする。
そういう時の私はどこにいるんだろうかと思うと、やっぱり身体ごと、今ではない過去にいるような気がする。
それも、本当のその時の過去の時間にいるわけではないから(物理的に身体は今ここにあるから)、なんかこう、「モヤっとした空間」みたいなところにいるのかもしれない。
はざま、というか。
私は気を抜くとすぐそうなってしまうので、今にちゃんといるように心がけようと最近思っている。
過去に引っ張られないように。
今がすべてだから。
これはもう、そうすると決めて、やるしかない。
決めるということは、ものすごいチカラがある。
そして、決めただけではなく、決めて動くことで初めてカタチとしてこの世界にあらわれる。
というか、本気で決めれば勝手に動いてしまう。
自動操縦のように。
だからとにかく、最初のところだけ、しっかりと決めること。
そしてあとはもう考えない。
過去の思い出の中でなく、毎瞬今ここに接続していると、ちゃんと必要なことが起こるから力んだり怖れたり焦ったりしなくていいんだろうな〜と分かっていても、その境地に至るまではそれはもうまだまだで、腹を括って人知れず地味で地道な努力を続けるしかないんだと思う。
でもそれは歯を食いしばるような努力ではなくて、ダンスの練習、みたいな感じがする。
相手と呼吸を合わせてダンスの練習をするような感じ。
相手とは宇宙でわたし。
話は変わるけど、最近二つ、ものすごく良かったものがあって、ひとつは「はいからさんが通る」という昔の漫画、もうひとつは「聖の青春」という映画。
漫画は寝るのも忘れて一気に読んだ。
映画も漫画もものすごく集中してしまうから、見ている最中は自分は無くなってて、見終わったときは戻ってきてもしばらくぼんやりしてしまう。
完全にその世界に入り込んでしまうほど面白いものがこの世にはまだまだたくさんあるなんて、なんて幸せなことだろう!
素晴らしい芸術に触れると、人間って良いなぁ、すごいなぁ、と感激して、とても元気が出る。
こんな素晴らしいものを作って見せてくれてくれてありがとう!と思う。
単純かもしれないけど、そういうシンプルな感動が、いちばんの私の栄養なのかも知れない。
「感動」
それだけなのかも。