めくるめく
ずいぶん長いこと、左の鼻の奥の奥のほうで血が滲んでるみたいで、口の中が血の味がしたり、それがのどの奥に垂れて鉄の味がしたり、ツーンと痛かったり、下を向くと鼻血が出たりする。
自分の身体に何が起きてるんだろうな、と思う。
見えない。
みぞおちの左側の、胃腸の詰まったような重たい痛みも、もう10年くらいになる。
検査もいっぱいしたし、良くなるようにいろんなことを試したけど、無くならない。
見えない。
いつ死ぬかなんてわからないけど必ずいつか死ぬんだな、と子どもの頃から思っている。
身体と一緒に生きていられるあいだに生きていることを楽しみたい。
めくるめく世界、すごく怖くて、必至でしがみついていたけど(今も)。
バンジージャンプってわけには行かないけど、そろりそろりと海に入っていくように溶けていっても、
私は消えてなくならないのかもしれない。
怖いけどね。
やっぱり。
別府
到着した別府は海の匂いがして、海の風が吹いていた。
良いとこだなぁと思った。
熊本もいいところだけど、空気感が違う。
私が住んでるいるところは海から遠いし。
海が近くにある街独特の、フワッと身体が軽くなる感じ。
私が南の海が好きだから余計それを強く感じるのかもしれないけど、とにかく、好きだな〜ここ、って思った。
別府に来たのは、まるちゃんのセッションを受けるためなのだけど、まるちゃんの泊まってる宿のすぐ横が海で、セッションまで時間があったので、海を見ていた。
海のそばに行ったらもうたまらなくて涙が出て来た。
白い砂の、青くはないけど、海。
私はこんなにもこんなにも海に来たかったんだ、と思った。
来てみないとわからないものだ。
動いてみないと本当には何もわからない。
五感ってすごい。
まるちゃんのセッションのことなどは、ここでは書かない。
書けない、というか。
いつでも自分の中でタイムラグがある。
それを味わっている。
でも見えているものもある。
「大切なのは、焦らないこと。
焦らなければ、そのうち、きっと。」
映画めがねの中で、さくらさんが言うセリフのことを思い出している。
恋について
子宮委員長のはるちゃんのブログを歯磨きしながら、ふんふんとながら読みしていたのだけど
「経験も年齢も立場も
経済力も外見も関係なく、
恋する勇気を
忘れないで欲しい。
愛されることを
怖がらないで欲しい。」
という言葉だけが立体で飛び込んできて、
思わずなんか、おえーっと吐きそうな感じになった。
五臓六腑を掴まれる感じというか、えぐられる感じというか。
私は過去、傷付きまくってきた恋愛たちで、もう本当に恋愛恐怖みたいになってる。
加えてもう年齢も今年で40で子ども二人のシングルで、
結婚どころか恋愛すらできないだろうと思っている。
私みたいなわけわからない人に恋されても迷惑だろうなと深いところで思っちゃってるな、と知り、おえーっとした。
かなしい。
こんなにも自信喪失してるなんて。
わかってたけど自覚したら、ものすごく、落ち込んだ。
このまま一生恋もせず人と付き合うこともせずデートもせず死んでいくのか・・・淋しい。
でもさ。
ひっそりと、知られずに好きになるくらいはいいよね。きっと。
と、思った。
そういう恋くらいはしてもいいよね、そういう恋くらいしてもいい自分になってもいいですよね、と。
だって、せっかく人間に生まれたし。
女に生まれたし。
ほんと。
ほんとに!
満月◯
今日満月かー◯
そうかそうか
未来ちゃんノート
なんではじめたのか、
なんで未来ちゃんノートって名付けたのか
ふしぎだな
これもやっぱり、
過去の未来の私からのエールなんだ、
きっと◯
まる◯
ほんとうの未来ちゃんノート
もうほんとうに未来に進まなきゃいけない
過去を全て捨てて
過去を全て手放して
もうそうしないとならない
そうしないとここから先へは進めない
これは私の死活問題だと感じる
重たいままでは、もう先へ進めない
進みたくないならこのままいればいい
どうするか、私が選べる
諦めて、受け入れた先に、
新しい扉があるんだろうな
痛い、でも、
ほんとは痛みすら、幻想だ
だってもう、その向こうに行ってる自分が見えるから
でも今痛い私もここにいるから、
大丈夫、
大丈夫、
わたしがなにも知らなくても、わたしはちゃんと知っている。
はー、ほんと、
色々ある。゚(゚´ω`゚)゚。
パラレルっている
昨日書いたことなのだけど、
小説が本当に過去や未来からの予言みたいなことになっているのを、朝イチのネット検索で知る。
なんで朝イチで知ったかというと、最近毎日夢に見る人がいて、なんか、そうなんだろうな、と思いながら調べたら、やっぱりそうで、そのことを私はとっくに知っていて、だから小説にもそのことを書いていた。
いつもそうだ。ガーンとショックを受けるいまここの私と、そんなのとっくに知ってたよというやっぱりね、の既視感覚のわたし。
私はとっくに知っていて、それを見ないようにしているのか、それともタイミングでわかるようになってるのかわかんないけど、
必ず伝えて教えてくれる(くれる、というのかな)なにかがいる。
それは誰なのかわからない。私なのかもしれない。
そう、本当にいつでもそう。
自分のことはわからないのになぁ。
そういう知らせは大抵間違いなくダメージがものすごいのだけど、仕方ない何かの転機でもある。
変わるとき。
というわけで、ハワイに行くことにした。
夢も時間軸も、過去も未来も宇宙空間に偏在してるんだね。
真ん中に私はいる。
その中から選べばいい。
私の好きな未来を。
もうそれがわたしの体感だから仕方ない。
にしても、
ほんと、ハードなんだよなぁ。
とほほ・・・。
もう、もう、もう、
もう選ぼうね。選べるよ。
はい。
薔薇の花
小説も大まかに四作書き終えて(打ち込みとか推敲とかぜんぜん出来てない・・・)、
読み返すと、予言じゃないけど、
未来の私からのエールみたいに思えるときがある。
同時に過去の私からのエールにも思える。
すごく不思議だ。
書いてるとき時空がないようなとこ、ごちゃまぜのようなとこで書いてるからかもしれない。
四作書いてひしひしと、
私はひとりが好きだけど、
同じだけ人を必要としているんだな、とわかった。
次の話は、出会いの話を書きたい。
書くかな?出てくるかな?
私がそこを書き出すかな?
わかんない。
次の私が、出会いの話を書く私だといいな。