いのちの車窓からを読む
星野源くんの「いのちの車窓から」を読んでいた。生きていることの、人間の素晴らしさを淡々と書いてあるすごく良いエッセイ集だった。
星野源くんがここまでのところに辿り着くには、どれほどのことがあったんだろう、と想像することすらできないけれど、読みながら憧れと怖れを感じた。
その感覚は変わらない。
今とはもちろん少しその手触りは変化しているのだけれど、本能的な感覚の部分では、同じだった。
巻末のあとがきに、こう書いてある。
『伝達欲というものが人間にはあり、その欲の中にはいろんな要素が含まれます。こと文章においては「これを伝えることによって、こう思われたい」という自己承認欲求に基づいたエゴやナルシシズムの過剰提供が生まれやすく、音楽もそうですが、表現や伝えたいという想いには不純物が付きまといます。それらと戦い、限りなく削ぎ落とすことは素人には難しく、プロ中のプロにしかできないことなんだと、いろんな本を読むようになった今、思うようになりました。
作家のキャリアに関係なく、文章力を自分の欲望の発散のために使うのではなく、エゴやナルシシズムを削ぎ落とすために使っている人。それが、僕の思う「文章のうまい人」です。』
私の親は笑わなかった。
いつも怒っていた、ふさぎこんでいた。
私は、両親を、家族を、とくに母親を笑わせたかった。
笑っていて欲しかった。
だから、家では道化のように振る舞った。
明るい子、元気な子、そう思われたかったし、安心させたかった。
私が安心したかった。
小学校でも、同じように振る舞った。
課題の作文も、なるべく面白おかしくなるように工夫して書いた。
それが、うまくいっていると思っていた。
けれどある日、仲の良かった(と思っていた)友だちが、自分の態度に反感を持っていて、それを先生に告げ、そして先生が自分を学級会にかけると言っていることを知った。
私はその先生も友だちも大好きで、彼女たちも面白くて明るい自分が大好きだと信じて疑わなかった。
けれど、それはひとりよがりだったのだと知った。
自分の努力がなんの意味も成さないどころか、学級会にかけられるほどの迷惑な代物だということを知り、あまりのショックでわたしはその日から塞ぎ込み、それまで班長や演劇の主役など、人前が大好きだったわたしは、人前で話すことも授業中に手をあげることすら出来なくなり、休み時間や放課後も一人、図書室で静かに過ごすことが多くなった。
両親は相変わらず怒っていたり無表情なままだった。
彼らも自分たちのことでいっぱいいっぱいだったんだろう、私の変化には誰も気付かなかった。
そして、それまでは外で遊んでいた活発だった私は、ひたすら本を読み漁るようになった。
図書室や図書館にあった絵本や戯曲や児童小説、なんでも読んだ。
とくに好きだったのはレオ・レオニの絵本と、江戸川乱歩の怪人シリーズだった。
広島の原爆の本や戦争の本もたくさん読んだ。
意味もなく人が人を殺すこと、誰にも知られず死んでいった人たちのことを、誰もいない放課後の図書館で思った。
本はそのときから唯一の私の友だちになった。
そして女子ばかりの中学に入ると、またいじめに遭い、私はさらに深く、どんどんとひとりの世界に入っていく。
両親は相変わらず私の変化には気付かなかった。
学校にも行かなくなり、横になっていた私はあるときから食べることをやめた。
食べて生きている価値が自分には無いと思ったからだ。
空気すら吸う価値がないと思っていた。
今思えば気づいて欲しかったんだと思う。
助けて欲しかったんだと思う。
けれど、誰も助けてはくれなかった。
私は学校にもいかず、何も食べず、ベットに寝て天井を見上げては、自分の存在の無価値さに目から涙をたらたらと流しているだけだった。
来る日も来る日もそうしていた。
自分の生きている価値のなさの底の底にいるようだった。
死のうとしたことも何度かあった。
けど、死ななかった。
なぜか、未来のいつかの自分は笑っているだろう、友だちもいるだろう、という確信があった。
当時の私はそんなことは信じられないのだけど、信じられないままに、なにか不思議な感覚で、未来の光がこの闇しか見えない今に届いているような、そんな気がしたのだ。
もしあの感覚がなかったら、私は多分死を選んでいたと思う。
未来の自分が過去の自分を救ったように思う。
生きることを諦めることができなかった。
長くなってしまったので、続く。