未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

追伸

遊びたいム、の記事、さらに続けると、

自分以外のこと、
なんでもいいし、どうでもいいし、関係ないって、
思っちゃいけないって思ってたんだよね。
でも、なんでもいいしどうでもいいし関係ないって思ってるんだよねほんとは。
わたし、昔から。
良い意味で、ですけど。

思っちゃいけないって思ってるから過剰になっちゃってるんだよね。
思っていいよ。

 

自分以外のことはなんでもいいしどうでもいいし関係ないって、

ほんとうに純粋にちゃんとそうなれると、

立ち現れるから、

関わり合って循環する豊かな世界が。

これからそれをやるところ。

 

 

遊びたいム

すごく変な言い方かも知れないけど、どうでもいいんだと思う。

良い意味で。

好きにすればいいんだと思う。

遊びだから。

しょせん(という言い方はやけっぱちな感じだけど愛を込めてのしょせん)人間だし、たいしてみんな変わらない。

せっかく地球に身体を持って生まれてきたんだから、ここでの有限の時間の間、思い切り遊べばいい。

いつかみんな死ぬから。

 

好きなように遊べばいい、ほんと、それだけなんじゃないかと。

 

一泊二日で東京に行く

一泊二日で東京に行ってきた。

出来事としては濃密すぎて箇条書きでメモ。

 

・行きの飛行機で、以前乗ったときにパニックになり、無理言ってなんとか緊急に降ろしてくれたフライトアテンダントさんに会い、きちんとお礼を伝えることができた

・途端に機内アナウンスで、今日が最後のフライトのフライトアテンダントさんの紹介が機長からなされる

・そのスピーチがとてもユーモアと愛に満ちたもので素晴らしかった

・乗客みんな拍手

・今日限りのフライトアテンダントさん、涙のスピーチ

・私がお礼を伝えたフライトアテンダントさんから職業冥利につきると仰っていただき、シールを子どもにプレゼントされる

・飛行機を降りるときもみんな、今日限りのフライトアテンダントさんに一人一人お互い声をかけあう

・バスに乗り空港に行くまで、飛行機の機長、乗務員の皆さんと乗客みんなお互い手をふり合う(示し合わせてないのに。しかもみんな照れ屋だから無言で)

という、すごーくいい旅立ちの出だしだった。

 

出だしからこれで、箇条書きにしても追い付かないので、さらに端折って箇条書きにする。

 

・宇宙マッサージのツイートを見て迷ったあげく予約メールするが埋まってしまう、やはり即行動だなぁと思う

・待ち合わせてた友だちに会ったとたん、私が夢に出てきてブログをはじめたと言ってた、と言われる

・その友だちとは先日書いた、私が物書きになりたいことを伝えようとしていたもう一人

・友だちと久々に話す、お互いの近況などについて、コミュニケーションについて考えさせられる

・次の日新幹線で京都の病院に行く予定だったのだけど、そこの先生から来たメールに腹が立ちキャンセルする

・それもコミュニケーションについての腹立ちだった、ていうか地雷を思いっきり踏まれた

・その地雷ゆえに私は物書きになりたいと思ってたことを思い出す

・つまり、ロスコミュニケーション、コミュニケーションを否定されてきた歴史

・私の願い、望み

・夜はドクター小林の量子波セミナー、

コミュニケーションとスピードのことを話していた

・京都の病院をキャンセルしたおかげで、またツイートに流れてきた次の日の宇宙マッサージの予約が取れて(即メール)、時間も病院と同じ2時になる

・宇宙マッサージ後、駅まで帰ってる途中でプリさんにお金を渡すの忘れてることに気づき(ほんとどうかと思う)、気づいて慌てて戻る

・あげく道に迷いまくってタクシーに乗る

・けどギリギリ20分前に空港につき飛行機に乗れる

 

 

 

こんな感じで、体感覚としては10日くらい行ってた気がするほど濃密だった。

ここから日常に、どう染み込んでいくのか。

とりあえず、わかったことは、わたしに限っては、考えても時間と労力のムダってこと。

あと即行動が大事ってこと。

あと、ハプニングを楽しんじゃってるんだよなーわたし、実は、ってこと。

無理やり抑え込んでももう無理ってこと。

わたしぜんぜん真面目じゃないし適当だし過剰だし気まぐれだし行き当たりばったりだけどそれでなんかうまく行くってこと。

わかってても、こわいんだけど、そうなんだよなぁ、ってこと。

ま、とりあえず、寝ます。

つまり感動

思い出というのは過去で、ぼんやりしているとよく過去のことを脳内で再生していたりする。

そういう時の私はどこにいるんだろうかと思うと、やっぱり身体ごと、今ではない過去にいるような気がする。

それも、本当のその時の過去の時間にいるわけではないから(物理的に身体は今ここにあるから)、なんかこう、「モヤっとした空間」みたいなところにいるのかもしれない。

はざま、というか。

私は気を抜くとすぐそうなってしまうので、今にちゃんといるように心がけようと最近思っている。

過去に引っ張られないように。

今がすべてだから。

これはもう、そうすると決めて、やるしかない。

決めるということは、ものすごいチカラがある。

そして、決めただけではなく、決めて動くことで初めてカタチとしてこの世界にあらわれる。

というか、本気で決めれば勝手に動いてしまう。

自動操縦のように。

だからとにかく、最初のところだけ、しっかりと決めること。

そしてあとはもう考えない。

 

過去の思い出の中でなく、毎瞬今ここに接続していると、ちゃんと必要なことが起こるから力んだり怖れたり焦ったりしなくていいんだろうな〜と分かっていても、その境地に至るまではそれはもうまだまだで、腹を括って人知れず地味で地道な努力を続けるしかないんだと思う。

でもそれは歯を食いしばるような努力ではなくて、ダンスの練習、みたいな感じがする。

相手と呼吸を合わせてダンスの練習をするような感じ。

相手とは宇宙でわたし。

 

話は変わるけど、最近二つ、ものすごく良かったものがあって、ひとつは「はいからさんが通る」という昔の漫画、もうひとつは「聖の青春」という映画。

漫画は寝るのも忘れて一気に読んだ。

映画も漫画もものすごく集中してしまうから、見ている最中は自分は無くなってて、見終わったときは戻ってきてもしばらくぼんやりしてしまう。

完全にその世界に入り込んでしまうほど面白いものがこの世にはまだまだたくさんあるなんて、なんて幸せなことだろう!

素晴らしい芸術に触れると、人間って良いなぁ、すごいなぁ、と感激して、とても元気が出る。

こんな素晴らしいものを作って見せてくれてくれてありがとう!と思う。

単純かもしれないけど、そういうシンプルな感動が、いちばんの私の栄養なのかも知れない。

「感動」

それだけなのかも。

 

 

自由

生きていることは面白くて、

連絡しようと思い付き、いや、やめておこう、と思った友人二人から立て続けにメールがきた。

元気?って。

そしたらそのうちの一人に、

何かやりたいことがあるの?と聞かれた。

そして生まれて初めてわたしは、

物書きになりたいんだよ、と伝えた。

そしたらその友だちが、

自分もこれからやりたいことは文書を書く事なんだ、と教えてくれた。

驚いた、そしてなんかうれしかった。

もう一人の友達は、私が誰にも言わずひとりで文書を書いていることを唯一知っている友達。(このブログのことは知らせてない)

 

この友だち二人に「物書きになりたいんだよ!」とメールしようかな、と思ったら、メールが来た。

不思議なようだけど、そういうことなんだなと思う。

速い。

さっきたまたま見たテレビで、事故で死にかけたことで人生は短いとわかり、サラリーマンを辞め、本当に好きなことを始めてそれで幸せに生きている人が出ていた。

良い笑顔だった。

私の目標は、あんなふうにすっきりと抜けた、一点の曇りもない良い笑顔ができる生き方をすること。

勇気を出して好きなことだけをして、それで溢れた幸せや喜びを人と感じあったり分かち合ったりすること。

なんだかみんなそういうふうに動いていっているような気がする。

光と闇、両極端に表れ出している今の社会、個人。

何を選択するのかの中にこそ本当の自由があるんだと思う。

他人や周りや社会や環境のせいにしないで、自分のことは自分で決めること。

自由って、そういうことなんだと思う。

 

 

 

北風と太陽

ほんとうにいろんなことが日々起きるのだけど、それはパズルのピースをひとつひとつ拾い集めているような感じ。

なにも関係ないような出来事たちも同じ大きなパズルのワンピース。

楽しいことばかりではないけど、その大きなパズルの存在を感じながら、ひとつひとつ、なんとか集めては嵌めていく。

そんな感じ。

 

昨晩は腹わたが煮え繰りかえるような怒りで夜中まで眠れなかった。

怒りなんて意味ないしそんな無駄なことしてないで早く切り替えようと頭でわかっていても、無理だった。

だってお腹が怒ってるんだから。

腹が立つとか、腹わたが煮え繰りかえるとか、ほんとうにそう。

頭よりももうお腹が怒ってる。

ひたすらお腹に手を置いていたら、お腹からものすごいエネルギーみたいのがシャーーーーと出ていて、手がビリビリしていた。

朝が来る前にいつのまにか眠り、目が覚めても、まだお腹には怒りがある。

というか、ずっと昔からこれはある。

私は、自分のエネルギーの強さを怖れていた。

自分のエネルギーの強さや思いや言葉をそのまま相手にぶつけることで、人を怖がらせたり傷つけることがたくさんあったから。

それは諸刃の刃のように私にはね返り、何倍も私を傷つけた。

だから私はそれを封印しようとした。

隠して、なかった事にしようとした。

自分は弱いと思い込んだ。

でも私は本当はめちゃくちゃ強い想いのチカラを持っているんだと思う。

その使いかたを変えていかなきゃ・・・と思っている。

怒りも愛も、同じ、エネルギーだ。

エネルギーの使い方を、変えていこう。

北風と太陽のはなし、

北風になるか、太陽になるか。

それを自分で選ぶ。

ただ怖れて押し込めるのではなくて、活かしていく。

使い方を、変えていく。

それしかない。

私のこの腹にある怒りのエネルギーを、

ただ浪費して腐らせるんじゃなくて、

自分を動かすエネルギーに変換する。

太陽はすべての生き物を生かすけど、その強力な熱量ゆえ殺すこともできる。

この身体の細胞のもっともっと細胞を小さくした素粒子の、それを震わせ続けるエネルギーの力をどう使うのか。

どう爆発させるのか。

 

今もお腹がカチカチでぎゅうっとしてる。

このぎゅうとしたものを発散しなきゃ。

破壊ではなくて、生かすほうに。

何があっても、もうわたしを幸せにするほうに使うと決める。

今決めた。

どうやって使うか?そんなのわからない、でも、とにかく私を幸せにするほうにだけ使う。