未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

アラーキー

10代の頃、アラーキーが好きで、アラーキーの個展をやるときはいつも見に行っていた。

原宿のラフォーレで個展をやったときは本人が来てサインをしてくれるというので、階段に出来た長い列に並んで、持っていったいちばん大好きな写真集「陽子」にサインをしてもらい、握手をしてもらった。

アラーキーは小さいのに大きくて、かっこよくて、すごく手が熱かった。

陽子さんの死ぬまでを写した「センチメンタルな旅・冬の旅」も大好きな写真集だった。

アラーキーの写真の中にいる陽子さんが好きだった。アラーキーの写す陽子さんが好きだった。

陽子さんから見た荒木経惟という男性を見る目線も好きだった。

陽子さんの書いた文も好きで本を何度も何度も読んだ。

二人がこの世で出会い、惹かれあい、一緒になり、死別していった全てが、それを見ている私にとってとても、特別なものだった。

アラーキーの写真に写る生死、エロスとタナトス、死ぬことが生きることを含んでいるのか、生きることが死ぬことを含んでいるのかわからない、どちらが光か影かわからない、表も裏もない、その官能と無が同居している世界の全てが好きだった。

 

それは、憧れだった。

こんなふうにこんなことが人間同士の、別々の人間の、男女でできることもあるんだ、という驚きと憧れ。

 

今あの頃から20年たって、アラーキーの写真や二人から感じることは、少し変わったかもしれない。

でも変わらないのかもしれない。

わからない。

 

東京での個展を見に行こうと思う。

もう一度見るときが来たんだな。今の私で。

そんな気がする。

 アラーキー、まだまだ長生きして写真を撮り続けて欲しい!

見たいから。

それを見る自分を知りたいから。