未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

あらたさん

本音、というタイトルの記事は、数日前に書いて、投稿出来ずにいた。

何度も投稿しようとしては保存し、投稿しようとしては保存し、そのたびにどんどんお腹は痛くなりガチガチになっていった。

恐怖ってなんだろう?

何がそんなに怖いんだろう?

怖かったら、飛ぶしかない。

昔、東大東島で、真夜中に、波がザンザン打ち付ける断崖絶壁を飛んだことがある。

波のしぶきで滑る足元、左手は崖、右手は眼下に真っ暗な海、1メートルもない足場、目の前は道が途切れてそこにザンザン高波がぶち当たっている。後戻りは出来ない、進むしか家にたどり着く道はない。ジャンプして向こう岸に届かず落ちたら、波にさらわれて確実に死ぬ。空には満天の星。波の力強い音。真っ暗な世界。

私はリアルな死の恐怖に泣いた。生まれて初めて足がガクガクと震えた。自分の心臓の音が波の音よりも大きく聞こえ、すごくうるさかった。

泣きながらも変に冷静な一部分が、漫画とかドラマで見てたけど怖いときに足が震えるって本当だったんだ・・・と思っていた。

あんなに覚悟したことって、後にも先にも無いかもしれない。落ちたら死ぬけど生きるためには飛ぶしかなかった。

進むしか道がなかった。

やるしかない!というのは、出産と似てる。

出産も、怖くても痛くても死ぬかもしれなくても生むしかない。

命がけ、って、やるしかない、ってことなんだな。

しばらく泣いて震えていたが、腹をくくり、深呼吸して、向こう岸だけをみて、波が引くタイミングを見計らい、私は飛んだ。

それで無事崖を飛べたので、私は今ここでブログを書けているのだけども。

あのときのことを、久しぶりに思い出した。

なぜ大東島なんてところで真夜中に海沿いの崖を何時間も歩いていたかの詳しい説明は端折るけど、簡単に言うと、あらたさんという島のおじさんと、大東島でかぼちゃの栽培をして出会ったてるちんという男の子に、いっしょに魚釣りに行くか?と言われて、はい!行きます!とかるーい気持ちで答えてついて行った結果の出来事だった。

泣いて足をガクガク震わせていた私が腹をくくり崖を飛べたのは、すでにピョーンと崖を飛んだあらたさんが「だいじょうぶだから、掴んであげるから!落ちたら助けてあげるから!」と手を差し伸べていてくれたからだ。

今思っても、あれ落ちてたら絶対助けられなかったよねと思うけど、でもその時のあらたさんを信じるしかなかったし、自分で飛べると信じるしかなかった。

無事あらたさんの家にたどり着いてみんなで深夜3時のカップラーメンを食べていたとき、しみじみと「本当に死ぬかと思いました」と言ったら、あらたさんは「まさかぁ!」と大笑いした。本当にびっくりした。私にとっては生きるか死ぬかの出来事も、あらたさんにとってはまさかぁ!と笑い飛ばすような出来事であり、私にとっては生きるか死ぬかの大冒険も、あらたさんにとっては魚釣り、なわけで。

なんだか私も気が抜けて笑ってしまった。

あのときのカップラーメンの美味しさやあたたかさを、今、久しぶりに思い出した。

 

諦めかけていたこと。

私は楽しく生きたいと思う。

生きることを、楽しみたい。

そして私は文章を書くのが好きだ。

下手でもなんでも、とにかく好きだ。

ことばが好きだ。

ことばが好きで、人と分かりあいたくて、それが叶わないことが辛すぎて、もう傷付きたくなくて、コミュニケーションを絶ったり、言葉ではないコミュニケーションを探したり、手話なら想いがまっすぐ伝わるんじゃないかと勉強してみたり、言葉ではなく触るほうが早いとボディワークをしたり、色々してきたけど、

私は本当は人が好きで、分かり合える瞬間があったら嬉しくて、生きている喜びを分かち合いたくて。

私は、仲良くなりたいんだ。

命の、震える喜びを、それを感じ合いたいんだ。

私は文章を書くことが、好きだ。

私は生きていることが、好きだ。

少しづつでも、怖い、より、好き、が上回っていきたい。

だってやっぱり、そのほうが楽しいから。

 

あらたさん、元気かな。

ありがとう。