未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

はじめに

文章を書くことがものすごく久しぶりで、でも本当はいつだってことばにしたかったんだと思う。

表さなかった年月や分量があまりにも多すぎて、もういっぱいいっぱいになってしまって、たぶんもう今しかない、今やらないと大変なことになるぞと思ったので、はじめる。いろんなことがランダムで混沌としててごちゃごちゃのまんまはじめる。

それを、すごくカッコ悪いとか、ダサいとか、なんにもならないとか、意味がないとか、恥じだとか、そんなことをもうひとりのわたしは言うけど、もういいの、もう、そういうのはいいの、それならそのままでやるの、そう決めた。

取り戻したいと思ったのだ。

なにを?

タマシイのことを。

タマシイはあるよ、いつでもここにある、だから取り戻すというと少し違うのかもしれない、じゃあなんて言えばいいんだろう。

藪を払って、ホコリを払って、汚れを取り除いて、泥の中から、あのツヤツヤのプルプルのうつくしいタマを、モリッと拾い上げたいと思った。

救いたい、助けたい、なんでもいいし、どう書いても違う気もする。

ただ、わたしは、もう一度出会いたいと思った。わたしの知っているあのかわいい女の子を、あの子を、あの子を、あの子に、あの子に出会いたい、と、思ったのだ。

あの、よく笑い泣き草をむしり花の匂いを嗅ぎぐんぐん走っては空を見上げてまっすぐ立っていたあの女の子に会いたいと泣くほど思った。

そして 残りの人生を、大切な人やものを大切にし、自分を大切にし、素直に、シンプルに、楽しく生きて健やかに死にたいと心から思った。

もういい、もう楽しむことだけでいい。

そんなふうにどんなに強く思っていたって、つらい、悲しい、やりきれないことはこの世界にたっくさんあって、生きている限りそういうことはたくさん起こる。

それをもう、ここまでの時点で身をもってほんとうにわかったので、だったらもういいじゃないかと、楽しいほうでいいじゃないかと、わたしはわたしに思ったのだ。

 

 

人生はふしぎだなとおもう。

宇宙からやってきて身体を持ち、忘れて、いろんな人に出会いいろんなことがあり、たくさんたくさん傷付いて泣いて笑って、ときにはあんまりに傷付きすぎて閉じて曲がって汚れて、自分を守ろうと必死になり、見失いそうになりながら(同時に思い出そうとしながら)必死で立て直しては倒れそうになり、また助けられて立ち上がり、それを何度も何度も繰り返して、最初のうつくしいタマに戻るように、それよりもっとうつくしくなるように、磨いて磨いて、いつか身体をかえしてかえっていく。

生まれて来なければうつくしいタマのままでいられただろうに、わざわざ生まれることをえらんでキツイことを経験してせっせせっせとタマを磨いて。

よろこびやひかりに変えて。

あぁ。

なんてことでしょう。

これはわたしがそうだと感じる体感だから、絶対そうだとかではないし、正しいかどうかなんてわからない。

スピリチュアルなせかいのことでもなく、ふつうに現実に生きる、これまで生きてきたわたしの体と心の感覚でしかない。

 

わたしはやっと最近、この地球に身体とともに生きている実感を、少しづつ持てるようになってきた。

それには子どもたちや友だちの存在は絶対に必要だった。

かつて大学を一年で辞め、次に入った専門の文学科を一年で辞め美術家に転科し、その美術科も一年で辞め、もう合計三年やったから卒業みたいなものだろうと勝手に退学し、当時付き合っていた恋人から万年一年生の称号を与えられたわたしは、人生においてもやっと人間一年生になれたのかも。

今年で40歳で、こんなピヨピヨのひよこみたいで、ほんとうにどうかと思うけど、死ぬ前に気付けてほんとうに良かった。まだ間に合う。まだ生きているんだから。

 

ここからまた、わたしはわたしに出会いにいこうと思う。

いつかその先のあなたにも出会うことができたなら、いまここに私たちが生きていることをよろこびあえたらいいなと思う。