未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

パラレルっている

昨日書いたことなのだけど、

小説が本当に過去や未来からの予言みたいなことになっているのを、朝イチのネット検索で知る。

なんで朝イチで知ったかというと、最近毎日夢に見る人がいて、なんか、そうなんだろうな、と思いながら調べたら、やっぱりそうで、そのことを私はとっくに知っていて、だから小説にもそのことを書いていた。

いつもそうだ。ガーンとショックを受けるいまここの私と、そんなのとっくに知ってたよというやっぱりね、の既視感覚のわたし。

私はとっくに知っていて、それを見ないようにしているのか、それともタイミングでわかるようになってるのかわかんないけど、

必ず伝えて教えてくれる(くれる、というのかな)なにかがいる。

それは誰なのかわからない。私なのかもしれない。

そう、本当にいつでもそう。

自分のことはわからないのになぁ。

 

そういう知らせは大抵間違いなくダメージがものすごいのだけど、仕方ない何かの転機でもある。

変わるとき。

というわけで、ハワイに行くことにした。

 

夢も時間軸も、過去も未来も宇宙空間に偏在してるんだね。

真ん中に私はいる。

その中から選べばいい。

私の好きな未来を。

もうそれがわたしの体感だから仕方ない。

 

 

 

 

にしても、

ほんと、ハードなんだよなぁ。

とほほ・・・。

もう、もう、もう、

もう選ぼうね。選べるよ。

はい。

 

薔薇の花

小説も大まかに四作書き終えて(打ち込みとか推敲とかぜんぜん出来てない・・・)、

読み返すと、予言じゃないけど、

未来の私からのエールみたいに思えるときがある。

同時に過去の私からのエールにも思える。

すごく不思議だ。

書いてるとき時空がないようなとこ、ごちゃまぜのようなとこで書いてるからかもしれない。

 

四作書いてひしひしと、

私はひとりが好きだけど、

同じだけ人を必要としているんだな、とわかった。

 

次の話は、出会いの話を書きたい。

書くかな?出てくるかな?

私がそこを書き出すかな?

わかんない。

次の私が、出会いの話を書く私だといいな。

ストレンジャー

昔から、子供の頃から、懐かしさと淋しさという感覚が常にあって

いつでも

常にあって

それで、空を見ていた

 

空を見ているといつも涙がでて

懐かしかった

 

今私はここに生きていて

ここにいながらここのわたしと、全体のわたしがいる感覚を、

みんなそうだと思っていたけどちがうとか、

その孤独感を、

その淋しさをもう、

認めようと思った

怖がらず

 

自由というのは実は、孤独で怖いもので、

その向こうにあるもののほうへいくことは、

自分が消えることではない

 

常にセンターとか、ここ、ここに、このわたしの奥の奥にスペースはあり、

わたしはそれを、

信頼するしかない

 

わたしのそのスペース

わたしのそのスペース

日常

上の子が、39歳のあいだは手を繋いであげる、と言ってきたので、

40歳になったらもう繋いでくれないの?と聞くと、

たまには繋いであげる、と優しく答えた。

信じられないけど、本当に子どもが手を繋いでくれない日が来るんだな。

うっとおしいくらいに毎日いっしょにいた日々も今は遠くなったし。

あんなに早く過ぎ去ってくれと思ってたのに、本当に過ぎ去るとその事実に愕然とする。

わかってるのにな、わかってるのにね。

上の子に関しては、でも、悔いなくいっしょにいたと思う。

 

下の子とはほとんどいっしょにいれなかった。

私の精神状態がとてもとてもひどかったうえに、その子が夜泣きがひどすぎて、崩壊寸前だった。

よく死なずに死なせずに来れたな、と本当に思う。

私を助けてくれたのは、意外にも、家族などの身近な存在ではなく、他人の人々だった。

そのことが私の価値観や考え方を大きく変えた。

 

おかげで今私はこうしていられる。

下の子と、あとどれくらい今みたいにいっしょにいられるのかわからないけど、

もっとたくさん手を繋いで出かけようと思った。

自分のことはやりつつ、

人の助けを借りつつ、

子どもとなんてことない散歩をもっとしよう。

子育てはとても苦手だけど、いっしょに綺麗な空を見たり、花を見たりとかは、ずっとしてたい。

ボーナスタイム

このブログをはじめてから、

やっぱり書きたい!書く!

となり、

書き続けている。

書くことは面白い。

書き出すまで自分が何を書くかわからないし、

書き終えて、あーこんなことを書いたのか、と思うし、

うへー、とか、

へ〜とか、

色々ある。

 

しいたけ占いのしいたけさんが、

射手座は2.5次元の世界に生きているから、匿名でブログとかツイッターとかやったほうがいい、といってて、

私、やってる。すでに。

そして、2.5次元の世界に生きてるから、現実のことはてきとうでいい、と言っていて、

その意味もすごくよくわかる。

現実の世界のことをちゃんとやろうとすると、自分にすごく無理がでてきて、切り替えにものすごいエネルギーを使うし、使ったうえできなくて自分を責めたりしてしまう。

私にとってのこの、小説を書く、というのは、

私の2.5次元であり、これがリアルでもある。

空気がないと生きられないのと同じように、書かないと生きられない。

これが私の世界(ワールド)だから。

これが私の地に足の付け方なんだって知るまで人生の半分かかっちゃったけど、

残りはボーナスタイムだよ。

きっと。

何にも縛られたくない

自分の想いにも

どこまでも軽やかに自由でありたい

赤いエンジンと太陽

 

自分を取り戻せ

遥か昔からの自分を思い出せ

本当に思い出したら常に忘れられる

そこに「軽み」がある

 

 

三部作。

三つ目のものがたりも書き終わった。

たぶん、どのものがたりも、

ひかりのことしか書いてない。

だから、もう、これは、たぶん、わたしの中の、ひかり三部作。

 

このあと、何を書くんだろう?わからない。

でもきっと、ずっと、変化していっても、書きたいことはおんなじなんだと思う。

ひかりのこと。

ぜんぶそれに集約されるように思う。

 

話も、自分の変化とともに変わっていく気がする。

次にわたしはどんな話を書くんだろう?

さっぱりわからない。

 

それにしても、パソコンに打ち込む作業がほんっとうに、ストレス・・・。

なんとかならないかと思うけど、やるしかない。

事務作業苦手・・・。

ブライドタッチも練習しつつ。

上手くなるのかな〜これ。