未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

近況的なこと。

久しぶりの更新。

相変わらずいろんなことが内的に起きてはいるけど、もうそんなの当たり前。

今は3つ目のものがたりを書いていて、これも、なんでこれ書いてるの?という感じの話だけど、とにかく書く。

これ書くのすごく疲れるし、なんか重たいし、怖いし。

でも書く。あと少し。

 

最近思うことは、友だちに会いたいなってこと。

ひとりでものがたりを書く作業は、自分の奥底の奥底にどんどんひとりで潜って行く作業だから、やっぱりなんか、バランスが大事だなとすごく思う。

だから、友だちに会いたい。

子どもをギューっとすることでもある程度バランスは取れるけど、やっぱり普通に会話したりお茶したり、美味しいものを食べたり、

そんななんでもないことの含んでる大切さみたいなものを、

とにかく最近ひしひしと感じている。

どうせ誰といてもひとりの自分の旅は続けなきゃならないんだから、

だったらそうじゃない時間は人と遊んだり、楽しいことたくさんしたい。

 

そんな感じ。

あと坂爪さんに会いたい。

会わなくてもいいんだけど、居てくれて嬉しいなって人がいるのはすごく嬉しい。

 

 

 

わからない。

わかってる。というブログタイトルで書いたけど、わかったつもりになることほどつまんないことはないなって思ってる。

わからないけどわかってる、けどわからない、ということを、わかっていたい。

 

みんな自分の世界しか見れない。

誰だって、私だって。

私はただひたすら自分の見ている世界を追求していくしかないんだと思う。

その時々で、最大公約数の真ん中みたいな輪っかの中で、誰かと出会えたり、または別れたりして、

ただただ自分に戻っていくしかないんだと思う。

誰もいない。

でもひとりではない。

きっと。

わかってる。

さっき、数日前のブログ、二つ目のものがたりを書き始めたときのものを読んだけど、

あんなこと書いたの全然覚えてなかったから、驚いた。

でも、いつだってそうなんだ。

いつだって、わかってるんだ。

 

「わかってるけど、わかんない、

わかってるけどわかんないからとにかくやってみる。」

 

そう。これが私。

こうやってずっと生きてきたこと、

思い出してきましたよ。

 

変われないねぇ。

しかたないよ、

諦めて、というか、

もう賞賛して生きてこ。

考えてるエネルギー、

そっちに回してっても、

もういいんじゃないかなー。

 

つぎへ

長く付き合って別れた人から最後にもらったすごく大切な手紙が、いつのまにか無くなっていた

捨てたかった手紙

捨てられなかった手紙

間違って捨ててしまったんだろうか?

動揺した

でも、

もう、いいのかもしれない、と思った

 

記憶ってなんだろう?

生きることは記憶なの?

すべての物質的な証拠や記憶がなくなったら、すべてはマボロシなの?

 

わからないけど、

ほんとありがとう身体、って思う

 

 

ふたつめのものがたりを読み直し書き直していたら、

最初とぜんぜん違うものになった

みじめさと向き合い、なんでこれを今ごろ・・・と思って書いてたけど、
そこから出てきたもの

気持ち

 

バカかもしれないけど、
何度も何度も苦しみながら私から出てきた最終的な結論は、
これだった

 

ああ

それを自分で見れて、よかった

下半期のしいたけ占い

下半期のしいたけ占い(射手座)を読んで、

「あなたはこれからも人を好きでいてください。そして、たくさん人を愛してください。」

ということばに、泣いた。

 

ここにこそ、私のすべての喜びも悲しみも、生きるすべてが詰まっているから。

 

そしてまた私は旅人に戻る。

旅人は淋しい。

それでも。

また旅先で何度も会いましょう。

そう伝えたい人にあうために。

嘘ではなく、本当に、ともにそう思える人に会うために。

私はまた旅に出るんだなと思う。

 

「あなたはこれからも人を好きでいてください。そして、たくさん人を愛してください。」

 

わたしはわたしとともにまた、旅に出るんだと思う。

それこそがわたしのきぼう。

 

あきらめないこころ。

旅先で何度も会いましょう。

そしていっしょにおどりつづけよう。

そんな出会いを求めて、

ひたすら自分を生きよう。

やってみる。

ものがたりのふたつめを書き終えたのだけど、なんていうか、詰め込みすぎだろこれ・・・という感じなので、どんどんまだまだ、変えていく。

ひとつめの推敲もまだ出来てないので、早く書きたいけど、書き写すのがめんどくさい。

やっぱり、パソコンでやろうかな・・・パソコンよくわかんないしブラインドタッチも出来ないけど、今よりはいい気がする。

 

詰め込みすぎのぎゅうぎゅうが、どんどん抜けてスカスカになって、風通しが良くよくなって、それでもピシャリと味が決まっていちばんおいしい、みたいな、そんな感じになりたい。

なんていうか、料理の世界とかも、おんなじななのかもしれない。

剣の達人とか。

あと、塩田剛三とか。

というか、なんでもそうなのかもしれない。

人生とか。なんでも。

達人とか、師範とか、そういう域までいくと、みんなおんなじなのかもしれない。

死ぬまでに少しでも近づけるかな。そこに。

上っ面だけ真似しても本当に仕方ないので、今は一生懸命書くだけ。

今は自分のため。

いつか人のためになったらほんとうにいいなと思う。

あと何年生きれるかわかんないけど、ひたすらやってみる。

わかんないから。

みたい景色があるから。

それだけ。

自分にうそをつかない。

ひか り

なんでいまこれを、書くんだろう、

そう思っていたときに、

友だちからのメールにより、

よりくっきりと思い出され浮かび上がってきた感情は、

「みじめさ」だった。

あぁ。

あのときの、あの、みじめな経験と、みじめな思いを、

未だに引きずるこの惨めさ無価値感を、

もう成仏させるときが来たんだな、

だから私はそれをこうして、

ものがたりに変えていくんだろう。

素材そのままではなくて、ちゃんと料理をして、美味しくして、提供するシェフのように。

私がそれを見せたいのは、他の誰でもない、私自身。

あのときの私へ。

でもそれらはすべて、過去ではなく未来へ向かっているんだよ。

すべての私を、連れていく。

 

あらわすことを怖いと思っていたけど、思えばあんなみじめさたち、そうそう無いことだ。

もう誰になんと言われても、「あれ」とか「あれ」よりひどいことはそうそうないだろうと思う。

みじめさ検定一級だよ、ほんと。

婚約者も友だちもお金も家も未来も一気に失うとか、そうそうないだろうし。

婚約者は有名な人だったから色々とキツかった。

その人と別れたら私の周りからたくさんの人がいなくなった。

そうなって初めて気付いた。

誰も私を好きじゃなかった。

誰も私の友だちじゃなかった。

ざまあみろとほくそ笑んだ人もきっといただろう。

影で憐れみながら笑っていた人もきっといただろう。

住んでた家もなくなった。

親はあんなお金持ち、勿体無い、慰謝料を貰えと騒いだ。

お金なんてどうだっていい!と激怒した。

私はあの人が無名でも貧乏でも好きだった。

悲しかった。

私の死にたいほどの気持ちに寄り添ってくれる人は誰一人いなかった。

でも、彼を自分を大切にしなかったのは誰よりも私だったんだと思う。

その私を私が罰っし、見捨てた。

あれから10年。

 

 

でも、「わたし」は私を決して見捨てなかった。

 

 

ありがとう。

だから、私は、とにかく、書いてみる。

私のために。

私に見せたいから。

私が見たいから。