未来ちゃんノート

未来ちゃんへ話したいことや書きたい手紙などを取り留めなく綴るノート

現在地

このブログを書き始めて未だに誰にも知らせていない。

未だに怖れている。

過去に書いたものを見る気もしない。

恥ずかしくて見れない。

とにかく書く。

過去のことなど書いたって、

そう、

ほんとそう、

でも、

それを書かなければ、今ここにいる私と数ミリ違う。

数ミリ違えば5年後、10年後は数センチ、数メートル違ってる。

 

そういうことなんだと思う。すべて。

その数ミリを、無かったことにせずにどれだけ感じ、見ていけるのか、ということ。

 淡々と見ることはものすごくきつい。

まだ間に合う。生きているから。

生きたい。それだけ。

書いてみて、客観的にして初めて分かることはある。

いらないものをいつまでも持っていても仕方ないし、どんどん重たくなるなら不自由になるだけだけど、むげに捨てることもしたくない、だってそんなことしたらここまで頑張って生きてきた自分が可哀想じゃないか。

どんなに間違ってても馬鹿でも、それは自分なのだ。

そのときそのときで、精一杯頑張って生きてきたことだけが、今のわたしのきれいなタマで、それがあったから今ここにいるということ。

よくぞ死なずに生きてきたなぁ、と労い感謝して、これからを悔いないように生きればいい。

自分のために。

本当にここを去るときに、あぁ、よくやった!と、楽しかったね!と自分と言い合って笑って去りたい。

これまでの自分へのレクイエム、鎮魂歌、これからの自分への約束。

人はそんなに簡単に変わるわけない、リセットなんてできない、そうかもしれない、

でも、と思う、

わたしはわたしのままで、にじり寄るようにでも、わたしの真ん中へ。

わたしのど真ん中。

そこで遊びたいと強く思っている。

 

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夢の外へ

自分を曖昧にしない、誤魔化さない、嘘つかないって、そうしてきた自分の現在地を見るってことだから、

ものすごくしんどい。

 

わたしはどうするんだろ?

 

 

 

と、書いて、保存したまんまだった。

つづく。

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決めるということ

うひー。

 

 

自分を曖昧にしない、と決めたら、

ほんとうにもう曖昧にはできない。

 

 

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遊び

何か大切なことを寝ている間にわかった気がしても目が醒めると忘れてしまっている、そんな感覚が、ここ最近ずっとある。

その残り香みたいなものを嗅いで、焦らず、弛まず、忘れないようにしている。

無理やり取りにはいかない。

なんとなく。

それは来るから。

甘えや怯えでなく、そんな気がしている。

今自分を見ている、感じているそのことを淡々と続ける。

そこを取りこぼすと、すごーくやって来るものが変わってしまう、そんな気がしている。

なんとなく、たしかに。

 

自分の神様は自分だし、ケチるな、出し惜しみするなよ、と言われている。

そこを曖昧にするなよ、と言われている。

受け取ることを曖昧にすると出すことも曖昧になる。

出すことを曖昧にすると受け取ることも曖昧になる。

じぶんが曖昧になる。

ことばにするといちいち硬いけど、これらはぜんぶが感覚でしかない。

あらゆることが感覚でしかないことをこれまで人にバカにされたりけなされたり色々言われてきて、私の感覚はくだらなくてどうしようもなくて逃げでしかないのかと思い出し、絵を描いても芝居をしてもなーんにも上手くならないし認められないことにだんだんと自信をなくし、ちょうど大事失恋もして、自分を見失う道を突き進んだ。

どんなことがありなにを言われても、自分を疑い、じぶんを見放す選択をしたのは、私だ。

私が自分を誰よりも見下し、見捨てようとした。

けれど大きな私は私を見捨てなかった。

そのことに感謝しかない。

 

今ここに来て思う、

「私は感覚でしかなくていいんだ」。

だってそうなんだもん!そうだとしか言えないんだもん!なんかそうだから!なんか嫌だから!好きだから!とか言うたびに、お前は馬鹿かと、だからひとりなんだと、迷惑を考えろと、おかしいと、言われ、

だったらカタチにして見せる!と息巻いても、私の感覚をあらわしたものが人に評価されることがなかった。

最大の理解者だと思っていた人にも見限られた。

それは私がその人も自分も大事にしなかったからだ。

わたしは自分から逃げようとした。

でも、自分から逃げられるわけなんかなかった。

 

私はこれでいい、と、今やっと言える。

すごい遠回りした。

私はこれでいいというのは、開き直りではないし、小さなわたしの「これではよくない、よくなろう」、というのが常にあるうえでの、大きなわたしの「これでいい」。

感覚、感受性、それこそが私のコンパスと羅針盤

私にしかない宝物。

錬金術

 

それに気づかせてくれた全ての過去、ありがとう。

人生は壮大な実験だ。大いなる遊びだ。

わたしはこれから遊びのステージを変える。

これもなんとなくなんだけど、なんでかそう確信している。

理由も理屈も、ありませんし、意味もわかりません。

でも、そうなる。

 

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メモ

メモ

 

 

そこそこのもの、そんなに好きじゃないもの、まぁいいか、みたいなものを買わない、食べない、付き合わない。本当に好きなものだけを身の回りに置いたり身につける。じゃないと自分に失礼。相手にも失礼。(子どものものは子どもの好きでいい)

 

嘘をつかない、誤魔化さない、つまらないことをしない。

そんな無駄な時間は人生にもったいない、命に失礼。

 

自分や命や時間やお金や身体は自分であり、ほんとうには自分のものではない。

友達のように、尊敬、尊重しよう。

適当な雑に扱うなんて、失礼なこと、友達にはしないでしょ。

 

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ゼロポイント

相変わらずいま時点の自分の何も無さに絶望をしている。

とくにパートナーとか恋愛に関しての絶望とかあきらめは過去最高。

外見のコンプレックスは本当に根深い。

それに年齢も加わり。

そしたらこれからもっと、落ちていくのか、それはつらい。

だからあきらめきれてないんだろう。

本当にあきらめていたら辛くないようなきがする。

じゃあどうしよう。

結局、自分を生きるしかない。

徹底的に。

パートナーがいようがいまいが。

でも。

ほしいなぁ。パートナー。

人生の喜びや悲しみを、ともに分かち合う人。

死ぬまでの旅路をともに遊べるひと。

とりあえず、ひとりで本気で遊ばないと。

自分を楽しませるしかない。

 

 

何もかも大事にしなかったんだなぁと気付いた。

ここからやり直すんだ。

今がゼロポイント。

自分と仲直りして、

それからだ。

自分と仲直りして、

自分を許して自分に許されて、

仲良くなりたい。

もういちど、ここから。

 

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嗅覚

起きている出来事は、何か同じ点と点で、繋いでいくと一つの方向へ進んでおり、

あぁ、これだったのか、とあとでわかる

あとでわかるのだけど、なにか、においのようなものがあり、目のもっと後ろの方で、それがなんなのか、ほんとうはわかっているんだと思う

わかっているのは、わたしではなく、わたしでもある、わたしで、

かるというのは、最初に感覚のほうであるので、理由や理屈がないので、説明もできず、小さなわたしとしては理解できていないけれど、わかっている

 

わたしはただ、なかよくなりたかった、なかよくしたかった

上も下もないのによくわからないままそうされて悲しかった

悲しかったから引っ込んだ

そしたら何も見えなくなった

 

そして

またここにきた

 

わたしはただなかよくなりたかっただけ

だから、そうする

世界は美しいよ

分かち合いたい

それぞれの地平の先で

 

以上。

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