鍵
ここ数日で起きた出来事は私を本当に根底から揺さぶる出来事だった。
その出来事には、全てが詰まっていた。
過去、今、未来のすべて。
自分が選択しがちな、これまでのパターン。
現実に起きている出来事。
妄想、思い込みの癖。
傷付きまくってきた部分、心の痛み。
自分の思いの強さに自分で傷付き、それにより封印してしまった感性。
何を選択するかということ。
コミュニケーション。
もう傷付きたくなくて、自分で閉じた。
そのいちばん柔らかい部分を、いちばん信頼したものにより再び傷付いて、二日間泣き通した。
親が死ぬよりショックな出来事だった。
畳にうずくまって、嗚咽から出てきた声は、
「わたしは、ただ、仲良くなりたかっただけなんだ。わたしは、ただ、大好きで、仲良くしたかっただけなんだ」
だった。
それが私のほんとうの本心だったんだ。
鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだった。
鳴き声は唸り声みたいだった。
私の本心を、やっとちゃんと聞いてあげることができた。
ずっと蓋をしていて、ごめんね。
もう、これ以上傷付くことはないという体験を実際にしたのだけど、
どうやらそれはたぶん、思い違い、勘違いだった、たぶん。
あんなにグワングワン揺れたのに、宇宙タイミングの重なった一人芝居だった。たぶん。
いや、もしかしたら思い違いではなかったのかもしれない。
ちゃんと私の言葉は相手に届いていて、それを見てその上で、私は無視されているのかもしれない。
けれど、たとえそうでも、誰がいてもいなくなっても、否定されても嫌われても、私は私だと思った。
ぐちゃぐちゃな顔で思った。
好きなものは好きだと、そのままでいようと思った。
思えた。
悲しみのあまりもう傷付きたくなくて自分で閉じた心の鍵を開けることを、私は、自分で選ぶ。
心の鍵を開けっ放しにする。
その先には太陽のような、曇りのない笑顔があることを信じて。
途中
ここ3日ほどでまたものすごいことがあって(出来事としてはなんてことないのだけど、私の存在を根底から揺さぶられる出来事だった。)そのことをまだ整理して文字にできないでいる。
まさに宇宙からの荒療治・・・。
落ち着いたらまたそのことも書こうかと思うけど、わからない。
その真っ只中に目に入ったプリミさんのツイート。
「現象に巻き込まれず、左右されず、その現実の本質や真意を見抜くということは、現実の流れのスジをよくするという意味でもとても大事だとおもっています。」
道程。
「ロジックではなく、香ってくる感じ」
あとで書くというはなし、そう、結構な高さの塀の上に立ってさくらんぼを取っているご婦人がいて、
マニを三輪車に乗せて歩いてた時に、目をふとあげたら、いて、
わぁ!と少し驚きつつ、おはようございます!と挨拶したら、
あげましょうか?と仰られて、
ちょっと待っててね、とそこから降りて、
たくさんの捕りたてのさくらんぼを持ってきて下さったのだ。
うれしい!ありがとうございます!と受け取り、少しお話をした。
昔はもう一本、さくらんぼの木があったこと、その実は獲っても獲っても次の日には色づくことなど。
鳥がたくさん来ては食べてね、昔は余ったらジャムにしたりもして食べたけど、歳をとるとそれもねぇ、なんて笑ってらした。
きっと、お子さんがまだ小さい頃などにそうしていたんだろう、ご婦人の向こうにその景色が見えるような気がした。
そしてご婦人もその頃の面影を私とマニの向こうに見てくれているような気がした。
御礼を伝えて別れ、マニを預けて帰りながら、頭の中では、何を御返ししようか、昨日知った味噌天神もなかにしよう、あれはとても美味しかった、ちょうど今度誰かにおもたせするならこれにしようと思っていたんだ、よしさっそく買いに行こう!と考えていた。
でも、ふと思った。
さくらんぼをもらったそばから、返すことばかり考えている。まるで言い訳のように。
なんで焦ってるんだ?
ソワソワしてる。
ザワザワしてる。
これは、なんだ?
うわー、うれしい、ありがとう!とただ受け取ることに、罪悪感を感じている、早く返してペイにしなきゃとザワザワしている。
ありがとうとただ感謝して受け取ることにこんなに逃げたいのか。
なんでだろう?
どうしてなんだろう?
あのご婦人は、全く見返りなんか気にしてないのに。
わたしひとりで返さなきゃヤバい!とお尻がムズムズしてる。
なんで?
どうして?
気持ちよく、感謝して、ありがとう、と受け取れないのは、どうして???
帰り道、それを考えながら歩いた。
そして、ザワザワムズムズする、ザワザワムズムズするけど、
とにかく、勇気を出して、受け取ってみよう、と決めた。
受け取ることに、こんなに勇気がいるの?と驚く。
なんでなのか、わからない。
私はこれまでどうしてきたんだろう?
これまで生きているなかで与えられっぱなしなのに、そのこと、どうしてきたんだろう???
考えてそれらしく思い当たることや、こういう心理を調べれば、理由はいくらでも溢れてるんだと思うけど、
頭ではなく、体感でわかりたい。
だから、勇気を持って受け取ってみる。
だからなにも調べない、理屈をつけない。
感じてみる。
そうすると、どうなるか。
(感じ中)
・・・
感謝がもっと沸いてくる。
胸の奥からもっと沸いてくる。
これが体感。
沸いてきたら、
溢れたら、
どうなるだろう?
ロッキンオンジャパンの、星野源くんのインタビューの中に書いてあった、歌詞を書くときのはなし。
「(テーマを)ロジックとして組み込むより、そういう気持ちが香るような歌詞が書けるまで書き直し続けて、香ってきたらやめるみたいな」
ロジックではなく、香り。
感覚。
すごくすてき。
ノート
あとで書く、と前の記事に書いたけどそれはまたあとで。
こうしてひとりで誰にも公開せずに書いているとどんどんひとりごとになっていくもので、今はただ頭の中のおしゃべりを文字にしているだけ。
思考思考でパンパンなところに風穴を開けて少しづつでも空気を入れてる、ガス抜き。
それがわかってて書いてる。
だから公開出来ずにいる。
もっともっともっと軽く、羽根のように軽くシンプルになるところの場所がみえるけど、形だけそれをやってもすぐ崩れるしもうそういうこともやりたくない、それやるなら書く意味がない。
それはもうやったから。
だからほんとうにこれはノート。
ただのノート。
少しづつ、バラバラなものをひとつにするためのノート。
5月の緑色の風は最高だなと思う。
大きな園芸ショップで切り花のオレンジとピンクのガーベラ、あと芍薬の蕾を買った。
咲き誇っている花も好きだし、蕾がだんだんと花開いていくのも好き。
花から感じるものが好き。
雲も好き。
空も好き。
雨も好き。
星も好き。
月も好き。
太陽も好き。
犬も好き。
猫も好き。
赤ちゃんも好き。
好きなだけ、それだけ。
この、(傍目から見たら)ぽけーっとしてばかりのままのところで、人ともやりとりできればいいのに。
やってみようかな。
無理やり合わせることやめて。
あの人は変わってるからな、と言われてもなんでも。
なんでそれが怖いのかな。
やってみたらわかるかな。
ねぇ未来ちゃん。
宇宙がどんどん加速する
5月になったとき、あぁついに5月になってしまったか、と思った。
なんでそんなふうに思ったんだろうか。
ワクワクとザワザワというかんじ。
いよいよ来たか、と。
なんでかは今はわからない。
でも、いづれわかるでしょ。←リサ
宇宙が早すぎて起きた出来事を書くのが追いつかないので、今時点で決めたこと、思ったことだけ書くと、
・心を込めれば手数は少ない
・自分に嘘をつかないことを徹底してやってみる→病院には行けない(嘘つかなきゃならないから。薬出しすぎだしおかしいとこ色々ある。でも看護婦さんは概ねみんな優しくていい人)
↓
・誰も悪くない
・思ったことは先延ばしにしないでその場で言わないと後で何倍にもめんどくさいことになる(いい人づらして面倒から逃げると後で何倍返しにもなって戻ってくる、自分が撒いた種は自分が刈り取る、良くも悪くも。それが宇宙のしくみ
・引き受けない(気をつかわずに愛をつかうということ。優しさだとしても引き受けなくていいことはたくさんある。自分も相手も宇宙も愛も信頼ができてないってこと。信頼は、勇気がいる 。私はとかく怖れが多いと思う。おっかなびっくりでも少しずつやってみるしかないなぁ。
・引き受けないことは愛かも
★受け取ることを徹底してやってみる
受け取ることにも勇気がいる
↑最後に書いたこと★について、これは、なんでだろう???って思ったことがあるので、そのことについてあとで書く。
ここ最近の流れの中で、私に対して強く言われているように感じたのは、引き受けないということ、あと、いい人づらせずその場で言う(別に何でもかんでも言うとかではなく、つまり、嫌われることを怖れず自分のままでいる、相手にいやな顔をされないために適当な返事や愛想笑いをしたり相手に迎合しないということ、シンプルに、自分に嘘をつかないということ)
ここをものすごく強くはっきりと示されていると思う。
しっかりやろう。
ひとつづつ。
こう書くと自分にダメ出しばかりで厳しい気もするけど、日々起きていることに目を開くと、辛辣なこともあるけど楽しいなぁと思っている。
私は、自分のことをもっともっと大好きになりたい、自分と相思相愛になりたいのだ。
昨晩のこと
どんどん単なる心情の吐露になってきてるけど、吐かなければ出さなければ入ってこないし動かないのでそのまま続ける。
とにかく続けることをする。
昨晩、自己価値が低いなんて、なんて傲慢なんだろうとハッとなった。
私の腎臓や肝臓や腎臓や胃腸やそのほかの臓器すべて、血液も血管もすべて、ずっと私を生かしてきてくれたのに!
自分を女として認められないし女としてダメダメだと思っていても、子宮は毎月血を溜めて、不要になったらちゃんと出してくれていたのに!しかも望んでなくてもあんな可愛い子どもたちを宿して育てて産み出してくれたのに!
どんなに自分を否定しても嫌っても生きる価値がないと思っても、身体はずーっと休みなく、私をこの地球で生かしてくれていた、その愛。この2年ほど色々あってから、身体に感謝してきたつもりだったけど、わかっていなかった。
もしかしたら死ぬまで本当にはわからないのかもしれない。
私はとても生きることに傲慢だった。
生きていることにも食べることにも愛されることにも。
布団に横になりながら臓器ひとつひとつの場所を手で触れ、ごめんなさいとありがとうを伝えた。
涙が出てきた。
死ぬまでずっと自分を大切に愛していこう、ほんとうに感謝できるようにちゃんと生きよう、そう思った。
私はとても傲慢だ。
すぐ感謝の気持ちを忘れてしまう。
少しづつでもそこを日々改めてこう、と決めた。
その翌日こんなことがあった。
宇宙は早い。